AIYL こぼれ話 人生の文脈

じゅんじゅんこと高橋淳さん、いつも私はじゅんじゅんさんと呼ばせて貰ってるのですが、じゅんじゅんさんのことを説明する時に、かなりの確率で「水と油」が出てくるのではないかとおもいます。

 

本編のscene02のエピソードにもちょっと出て来ますが「水と油」はその界隈では相当なものだったようです。当時、東京からは遠い岡山の大学を卒業し、そのまま岡山で映像と演劇に明け暮れていた私も「水と油」のことは知っていて、当時はHPに動画なんて載ってなく、少ない写真や文章を読んでは想像を膨らませるだけでした。

ちなみに「水と油」のHPはこちら

http://www.mizutoabura.com/index.html


そんな折、広島に「水と油」の公演『不時着』が来る!というので、いざいざと観に行きました。※後で知ったのですが、じゅんじゅんさんは椎間板ヘルニアの再発で出演されてませんでした。
言葉を一切使わない身体表現で、ストーリーを喚起させたり、スタイリッシュかつユーモアがあって、次から次へとスピーディに表現が現れていき、こんな凄いことが舞台で出来るんだ!と興奮冷めやらず、当時、舞台に進むか、映画に進むかと悶々としていた私は「舞台はまだ辞められねぇ!」と即決したことを今でも覚えています(笑)。

高い評価を受けると、良い意味でも悪い意味でも、そこに人々の意識が縛られることってあるじゃないですか。お!水と油!ですか!みたいな反応だったり、TVに出まくっていた芸人さんが、まるでその当時が最盛期だったかのようにおもったり、タイタニックのディカプリオみたいにイメージが離れなかったり…。
個人的にはそういうのが嫌で、今回は敢えて「水と油」にはフォーカスを当てないようにしようかなと考えていましたが、結局じゅんじゅんさんのことを知らない人にも(「水と油」を知らなくても)紹介していくには、必要だなと考えなおしました。

実際に撮影しながら、「水と油」時代の話しことも含めて、ディープな話しをなんだかんだ初めてお聞きして、自分の中で発見だったのは、人には歴史というか文脈という見方がとても大事なんだなということでした。

当たり前ですが、「水と油」があってこそのじゅんじゅんさんですし、その上で現在の素敵なじゅんじゅんさんなわけです。その人のある時期だけを捉えたり、過度に反応すると、現在を見誤ってしまうこともあるのだと感じました。どんな単語も文脈の中で意味が変化していくように。

そう思うと、じゅんじゅんさんだけじゃなく、他者への理解や見方がちょっ変わりました。今、現在の一瞬でたくさんのことが分かることもありますが、文脈が分かってくるには時間も必要だとおもいます。特に昨今は目まぐるしく変わっていく時代です。そんななかで、時間をかける面白さも大事にしたいなとおもいます。