浅野君、敢えて君といってしまうのは、私が高校3年から浪人のころ通っていた美術研究所(美大受験の予備校みたいなもの)に彼も居たからです。
お互いに大学に受かってからは全くといっていいほど、会うことがありませんでした。たまに彼が東京でグループ展をやっていた時に会ったぐらいで、今回の撮影を相談するために連絡をした際には、あまりにも久しぶりだったので、後に彼の口から「壺でも売られるのかと思った(笑)」と言われました。でも、昨今よくあると思いますが、SNS等で彼の絵を観ていて、上手いのは勿論、なんか素敵な絵を描くなぁと私は常々おもっていたのでした。
さて、撮影の快諾を得て、実際に撮影していくと、改めて絵を描くことの不思議さと面白さにううむと唸りました。時間に追われながら、仕事をする生活では、なかなか気づかないような事が、彼の口から次々と出てきて、当たり前になっていたことが、揺さぶられるのは本当に驚きでした。まるで哲学者と話しをしているような、人の不思議さ、面白さを再認識する撮影でした。
私は、浅野君が絵を描くという行為から、そういう考えに至ったことに、非常にときめきを覚えます。日本ではアートが遠い存在になりがちで、刺激や娯楽に溢れた現代では、受け身で暮らしていても十分に楽しいとおもいます。でも人の不思議さや面白さという、極端にいえば生きているだけで面白い、人という生き物の自体の楽しさに気づかせてくれるのも、アートの側面だなぁとおもいました。
最後に「画家と話す」という断定的な表現を許してくれた浅野君に、あらためて有難うといいたいです。画家なんて、100人いれば100通りの考えや表現があるのですが、敢えて今回は断定しました。なぜなら、画家なんて身近にいないよっていう人に見てもらいたく、「画家と話す?」と興味を持ってもらいたかったからです。なので映像も5分以内となるべく、短かくしました。浅野君の映像は全部で7本公開予定ですが、全て見終えたときに、人という生き物の不思議さと面白さの深みが見えてくるとおもいます。
是非、楽しみにして頂けたらとおもいます。
コメントをお書きください